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須賀質店ではランゲ&ゾーネ(A.LANGE & SOHNE)の時計については全てのモデルで、新型はもちろん中古品でも何十年前のモデルでも買取を強化しています。ブレゲの時計であれば、附属品や箱、布袋が無くても買取、質入れできるので、安心して須賀質店にお持ちください。
ランゲ&ゾーネの時計には、ランゲ1、1815、サクソニア、ダトグラフ、リヒャルドランゲ、ランゲマチックなど、多数の種類の時計があります。いずれのモデルも多数の買取実績、質入れ事例があるので、買取や質入れの際はぜひ須賀質店にご相談ください。また、ランゲ&ゾーネには
ダトグラフ・アップタウン、ツァイトヴェルク、ランゲマチックパーペチュアルのような珍しく複雑機能を搭載した時計も須賀質店では取扱いの例があるので、他店で買取査定額を出せないなど断られた方はぜひご相談ください。
須賀質店は、創業大正9年 まもなく創業100年になる質屋で、長い歴史の中で全国の高級時計オークション市場の落札結果を収集、分析して業界最高値を提示するシステムを作り上げました。また、海外のオークション市場や外国人バイヤーの情報も取り入れて、業界最高買取価格、質入れ価格の提示に努めています。
須賀質店は、都内に3店舗、池袋、渋谷、五反田と、いずれも駅から徒歩圏に店舗があります。他社で低い査定価格しか付かなかった、不調を理由に断られた時でもあきらめずに須賀質店に相談してみてください。ランゲ&ゾーネの高価買取、高価質入れをご希望であれば、須賀質店にお問い合わせくださいますようお願いいたします。
下記のランゲ&ゾーネの買取査定額は、新品商品(全く使用していない商品で傷なし、保証証有効期限内、箱あり)の買取上限価格です。 商品の状態、人気度、付属品の有無によって、買取査定額は上下することがあります。 そのために、下記のランゲ&ゾーネ買取査定額のとおりに買取をできない場合がありますので、下記の買取査定額についてはひとつの参考としてご覧くださいますようにお願いいたします。
※質入れの場合のランゲ&ゾーネ質入れ査定額は、預かり期間中の査定相場の下落を考慮するので、買取査定額より10%から20%若干下回ります。
ザクセンが最も繁栄を極めた1785年に、後の天才時計師となる人物が誕生します。その名をフリードリッヒ・グートケスといって、ドレスデンが世界でも有数な芸術の街になったころ成人となった彼は、ドレスデン宮殿横に自身の時計工房を設立しました。この工房は、貴族や著名人が訪れて高性能の時計を買い求めていったために一躍有名になり、1831年にフリードリッヒ・グートケスはその技術力が認められて、王家お抱えの時計技師になりました。
フリードリッヒ・グートケスの作品で最も高度な作品は1841年にドレスデンのセンパーオペラのために製造された、数字で時刻を表示する5分時計と言われていますが、この作品はこれから説明する時計技師との共同作業によるものでした。
アドルフ・ランゲは1815年にドレスデンで誕生しました。アドルフは幼少の頃に両親が離婚したために、親しかった商人の一家に引き取られ、十分な教育を受けさせてもらうことが出来たといいます。そして、15歳の時にフリードリッヒ・グートケスの工房に弟子入りし時計技師になるべく修行を始めました。1835年に優れた技術を習得し修行を終えたアドルフ・ランゲは、そのから2年ほど弟子職人としてグートケスの元で仕事を続けますが、その後はヨーロッパ各地の優秀な時計技術者のもとを訪ね歩き、技術の習得を続けました。行く先々での記録は有名な「旅の記録」として優れた時計の文献として残っています。多くの経験と修行を終えて1841年にドレスデンに戻ったアドルフはグートケスの時計工房の共同経営者となり、先のゼンハーオペラの五分時計の製作に共同で取り掛かるのです。
アドルフ・ランゲの時計技術者としての技量は非常に高いもので、その内容は当時のロシア大公ミハイルからの礼状にも残されていて、当時大公に製作した複雑懐中時計が大いに気に入って、その例のためにダイヤモンド付きのピンが同封されていたりしたようです。
時計技術者としては卓越した才能と実績を持ったアドルフ・ランゲでしたが、一方で世の中の貧困な人々を助けなければならないという慈悲の念が人一倍強い一面がありました。特にエルツ山地一帯の貧困が深刻になるにつれて、何とかしなければという思いで、アドルフ・ランゲはドレスデンでの地位や名誉を捨てて貧困にあえぐグラスヒュッテの街に移転してゆきます。
1845年アドルフ・ランゲはドレスデン近郊のグラスヒュッテに自身の時計工房を設立し、精度の高い時計の製造を開始します。アドルフは貧困にあえぐ地元から才能を見込んだ15名の若者を抜擢し、優秀な時計職人に成長させるべく修行を開始します。アドフ・ランゲンの妥協を許さない作業と高度な時計製造技術は、今までにない精密工具や計測機器を考案し、生産方法が格段に効率化されました。はずみ車を利用した旋盤やムーブメントの安定性改善のために取り入れた3/4プレートなどが良く知られています。
この頃にアドルフ・ランゲはすでに時代遅れになっていた伝統的な時計製造方法を根本的に変革しようと努力していました。そのために変革された工程は多いですが、最も歴史的な意義が大きかったのがそれまで使われていたわかりにくいフランスのリーニュという単位を止めて、メートル法を採用し、最小単位としてミリメートルを採用したことです。
1875年にアドルフ・ランゲは亡くなりますが、彼が創業し息子たちに引き継がれた会社はすでに世界的に有名な時計メーカーに成長していました。特に、時計の部品製造にかかわりの深いテンプ、歯車、香箱、時計の針、受け石やビスなどを製造する工房を立ち上げることを従業員に強く進めて、このことがグラスヒュッテの大きな経済発展につながります。
アドルフ・ランゲにはエミールとリヒャルトという息子がふたりいましたが、いずれも優秀な時計技術者で、父 アドルフが亡くなる直前に会社を引き継いでいました。1868年には、A.ランゲ&ゾーネという社名が採用されて、この名前の由来は「アドルフ・ランゲと息子たち」というところからきています。製造工程が大きくなり従業員が増えてくると、新しい工場の建設が必要になり、新しく建設されたランゲ一家の居宅も兼ねていた工房は、いつしか会社としての機能も備えるように変化してきました。
1871年にドイツ帝国が発足すると、ドイツは大きな経済発展の上昇機運に乗ることになり、人々の生活は裕福に、求める物は高価な贅沢品が多くなると、高度な時計を製作するA.ランゲ&ゾーネへの要望も多くなり、その後40年継続する同社の黄金時代が到来します。この頃に製造された作品として有名な時計として、ドイツ帝国の皇帝ヴィルヘルム二世が1898年に注文した贅沢を尽した懐中時計という作品があります。また1900年にパリで開催された万国博覧会にエミール・ランゲが出品した「百年記念トゥールビヨン」は、トゥールビヨンとしての性能の高さだけでなく、エナメル細密画で女神ミネルヴァが描かれていて、90年後のオークションで150万マルクの落札値が付いています。
アドルフ・ランゲは歴史に残る優秀な時計技術者でしたが、その息子である長男のリヒャルト・ランゲは、最先端を行く科学技術の研究成果を時計機構開発に応用してきたという天才的な時計技術者です。彼は生涯を通して新技術の開発に挑み続け、現在の精密時計製造に影響を与えている様な開発も多数あって、生涯にわたって取得した特許および実用新案の数は27件にも上ります。
その中でも最も後世に影響を与えた開発が、1930年に発表して特許を取得した「時計ゼンマイ用金属合金」です。リヒャルト・ランゲはヒゲゼンマイに使われていたそれまでの合金にベリリウムを加えることで磁場や温度の変化の影響を受けにくく、硬度も弾性も飛躍的に向上することを発見し、製品化にこぎつけました。リヒャルト・ランゲは特許取得の2年後に亡くなってしまいますが、今日の高性能機械時計の心臓部であるテンプが問題なく長期間機能するのは、リヒャルト・ランゲの功績によるところが非常に大きいのです。
第一次世界大戦の勃発は多くの産業に打撃を与えましたが、高級時計業界も打撃を受けた産業のひとつでした。そのなかで、A.ランゲ&ゾーネの業績は大きな影響を受けずに済んだのは、軍事用の高性能マリンクロノメーターを製造していたからにほかなりません。1919年にエミール・ランゲが会社を退き彼の息子が事業を継承すると、A.ランゲ&ゾーネは再び全盛期の業績を取り戻すことに成功しました。
しかし繁栄もつかの間、1929年に発生した世界大恐慌が、再び多くの産業に壊滅的なダメージを与えて、時計業界も多くのマニュファクチュールが閉鎖の憂き目に会いましたが、A.ランゲ&ゾーネには高度な特殊技術が多く蓄積していたために、この難局も乗り切ります。
その後、第2次世界大戦が終結する直前に、ロシア軍の空爆によってA.ランゲ&ゾーネの本社工場が消失してしまいます。建物は無残にも破壊されて、ほぼ全壊の状態でした。
それから3年後の1948年4月、東ドイツは共産政権が与党になり民営会社が国有化されるという事態になり、A.ランゲ&ゾーネの創業以来蓄積された時計製造の技術もブランドの価値も、ここでストップしてしまいました。
しかし、1990年東西ドイツが統一されると民営会社の設立もできるようになり、創業者アドルフ・ランゲの曾孫にあたるウォルター・ランゲがA.ランゲ&ゾーネの再興に乗り出して、グラスヒュッテに戻ってきました。それからわずか4年で、新しいA.ランゲ&ゾーネの新モデルが発表されました。その記念すべきモデル名はランゲ1、アーケード、サクソニア、プール・ル・メソッドの4種類でどれもかつてのA.ランゲ&ゾーネを彷彿させる、高性能、高機能の時計ばかりです。2度の世界大戦やドイツの政治問題に翻弄されたA.ランゲ&ゾーネではありますが、現在ではドイツ ザクセン地方の時計製造技術を世界にアピールする象徴的な存在になっています。
須賀質店は、大正9年に東京五反田で創業して、現在まで100年以上続く老舗質屋です。
これまでお客様のために、徹底した低金利を追求し業界トップクラスの水準にまで金利を引き下げてきました。
また、業界最高値の査定金額を提示するために、ブランドバッグ、高級腕時計、ブランドジュエリーなどをはじめ、金やプラチナの査定金額に至るまで、日々商品の相場価格を研究しています。明るくクリーンな店舗をご用意いたしましたので、質屋を初めてご利用になるお客さまでも、安心してご来店ください。
社名 | 須賀質店株式会社 |
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代表者 | 須賀兼一 |
本社所在地 | 〒141-0022 東京都品川区東五反田1-14-11 須賀ビル 2階 |
創業 | 大正9年 |
会社設立 | 平成19年4月 |
資本金 | 5,000,000円 |
決算期 | 3月末日 |
従業員数 | 5名(アルバイト1名含む) |
事業内容 | 質屋業務、古物取扱業務 |
取引銀行 | 横浜銀行五反田駅前支店、 東日本銀行大崎支店 |
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