シャネルの買取を検討中の方へ!シールなしでも買い取ってもらえる?
1929年創業以来、90年以上の歴史があるシャネル。
今では世界中に店舗があり、多くの人がシャネル製品を身につけるようになりました。
そのシャネルの商品には、シリアルシールやブティックシールが貼られているものがほとんどです。
これらのシールには、どんな意味があるのでしょうか。
また、シールなしでも買取は可能なのでしょうか。
今回はシャネルのシールについて解説します。
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□シャネルのシリアルシールとは
シリアルシールは、シャネル製品1つ1つにつけられた固有のナンバーです。
シャネルのシリアルシールがついていると、正規品と認められます。
つまり、シリアルシールがあれば、本物のシャネルと証明できるわけです。
だから、シリアルシールは買取の際にも、重要な査定ポイントとなります。
そのため、シリアルシールが削られていて読み取れないと、偽物と疑われる可能性があるので、普段から擦り傷などに注意が必要です。
といっても、買取店の査定士が見れば本物かどうか見分けることができるので、シリアルシールが読めなくても本物と判断できるでしょう。
しかし、中古市場で買い求める人は、シリアルシールが擦れて読めない商品は、不安に思って買わない可能性もあります。
そのため、買取店でもシリアルシールが読めないと、本物とわかっていても査定額が下げられてしまうこともあるのです。
多くの買取店では、シャネル製品であれば状態が悪くても買い取ってくれるので、シリアルシールが読めなくても買取に出しましょう。
□シャネルのブティックシールとは
日本国内の正規店でシャネルの商品を買うと、ブティックシールが貼られます。
ブティックシールには購入年月日や、購入店の情報が記入されています。
ブティックシールは、シャネルの商品を日本国内で買ったことを証明するものなので、海外で購入した商品には貼られていません。
シャネルのようなブランド品は、特に海外では模造品が多いので、日本国内の正規店で購入すれば安心できるため、ブティックシールを貼るようになったのでしょう。
しかし、2016年6月でブティックシール精度が廃止されたので、現在は日本国内で購入しても、ブティックシールは貼られなくなりました。
ブティックシールは簡単に剥がすことができる上に、知らないうちに剥がれてしまうこともあったようです。
そのため、国内で購入したシャネルのブティックシールを剥がして、他のシャネルの商品(多くは偽物)に貼って買取に出したり、フリマサイトやネットオークションに出品するケースもありました。
このように、ブティックシールが悪用されるようになったので、廃止されたのかもしれません。
もともとは、日本国内の正規店で購入すればば偽物の可能性はないので、消費者を安心させるために始まったものでした。
それだけに、そのブティックシールが悪用されるような事態が発生したことは、非常に残念です。
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□シール無しのシャネルも買い取れる
上記でも少し触れましたが、シャネルの商品はシリアルシールや、ブティックシールが読めなかったり剥がれていても買取可能です。
特にブティックシールに至っては、海外で購入したものには最初からついていないので、ブティックシールがないと買取できないのであれば、多くのシャネル商品が買い取ってもらえないことになります。
ただし、買取店によっては、これらのシールがないと、買取を拒否されたり査定額が下がることもあるようです。
上記でも触れましたが、買取店の査定士はこれらのシールがなくても、本物かどうか見分けられますが、中古市場で買う人は見分けられないので敬遠される傾向があります。
つまり、これらのシールがないと売れ行きが悪くなるので、買取店によっては買取を渋ることもあるわけです。
また、中古市場でシャネルを買う人の中には、すべてが揃っていることにこだわるお客もいます。
すべてとは、すべての付属品が揃っているとともに、シリアルシールやブティックシールが、貼ってあることにもこだわるということです。
こういった、マニアックなお客を多く抱えている買取店では、これらのシールの有無が重要になることもあるでしょう。
*シールがない場合の買取価格
では、シールのあるなしは、買取価格にどの程度影響するのでしょうか。
モデルや価格帯、商品の状態にもよりますが、シールがないと20〜40パーセントくらいダウンするようですが、モデルによっては半額程度まで下がることもあるようです。
このように、シールのあるなしが査定価格に大きく影響するので、シールが剥がれないように、擦れて読めなくならないように、普段使いに気をつけたいものです。
□シャネルの人気はココ・シャネルの生きざまにある
ファッション業界で華々しく活躍したココ・シャネルの生涯は、必ずしも恵まれていたとは言えませんでした。
シャネルファンの中には、そういった彼女の生きざまに、共感している人も少なくないようです。
ココ・シャネルは本名をガブリエル・シャネルといい、1883年8月19日にフランスの南西部で生まれました。
シャネルは幼くして母親を亡くし、父親に捨てられ孤児院で育ちます。
そこで縫製を学んだことが、のちの彼女の人生に生かされます。
もしシャネルが両親と一緒に普通の生活をしていたら、縫製の技術を身につけることもなく、現在のシャネルブランドもなかったかもしれません。
18歳で孤児院を出たシャネルは、仕立て屋で働きながら夜はキャバレーで歌って生計を立てました。
シャネルはプロの歌手を目指しましたが、ことごとくオーディションに落ちてあきらめます。
もしここでプロ歌手になっていたら、やはり今のシャネルはなかったでしょうね。
23歳の頃、シャネルは資産家の元将校バルサンの愛人になります。
この頃のシャネルは、自堕落な生活を送っていたようです。
その後、バルサンの友人のカペルと知り会うと意気投合し、今度はカペルの愛人になります。
1910年、27歳のシャネルが初めて帽子店「シャネル・モード」を出店した際は、カペルが資金提供してくれました。
この帽子店がシャネルの出発点となっているので、カペルの存在は彼女にとって大きかったようです。
その後、1913年にはリゾート地にブティックを開業し、業績を伸ばします。
シャネルの活躍は帽子や洋服にとどまらず、1921年には「No.5」「No.22」という香水を次々と発売して注目を浴びます。
順調に成長を続けるシャネルでしたが、1939年に第二次世界大戦が始まると、ほとんどの店舗が閉鎖となりました。
この頃、ドイツ軍人と愛人関係にあったシャネルはスパイの容疑をかけられ、告訴されるのを避けるためにスイスに逃れます。
その後、1954年にようやくパリに戻ったシャネルは新作のドレスを発表して、新生ココ・シャネルがスタートしました。
ヨーロッパでは何かと批判の対象となったシャネルも、アメリカでは高い評価を得られて、世界進出への足掛かりを作ることができました。
1971年1月10日、ココ・シャネルは永眠します。
華やかなファッションとは裏腹に、彼女の生涯は数奇なものでした。
ココ・シャネルの生き方には批判もありますが、彼女が残した業績が偉大なことに変わりはありません。
□まとめ
シャネルの商品には、シリアルシールとブティックシールが貼られています。
シリアルシールには、それぞれのシャネルの商品につけられた固有のナンバーが刻印してあります。
ブティックシールは、日本国内の正規店で購入したことを証明するもので、海外で購入した場合はつきません。